初心

武道に足を踏み入れて37年になる。初めて道場の門を叩いたときに、それほどの志があった自信はない。ただ、折角始めたのであるから同輩諸氏には負けたくないと、決められた稽古時間以外にも道場に入り浸り、ひたすら教えられた基本技を繰り返し、飽きることもなく畳の上を受身で転がっていた。ただ、意味も分からず繰り返していたに過ぎない。

すると一年余り経ったある日、雲の上の存在であった師範の技を見たときに、突然強烈な衝撃を受けた。そのときの衝撃を上手く言葉で表現することができない。それまで何回も見たことがあったろうに、その技はただただ静かに美しくしなやかに、まるで師範のまわりだけ時間の流れが違うかのように、私には見えた。自然と涙がこみ上げてきた。

あれは何だったのだろう、と今でも思う。ただ、あのときから私は武道の虜になった。毎日が光り輝くようになった。なぜ37年経った今武道を続けているか、と自問しても一言では説明は難しい。色々なことがあって、導かれるように今ここにいる。ただ、あのときの衝撃が、感動が、私の武道の原点である。それだけは間違いない。
(※タイトルは世阿弥の「花鏡」にある「初心忘るべからず」から取ったが、必ずしも原典どおりの意味ではない。)

大東流合気柔術副本部長・世田谷支部長
教授代理 臼山秀遠

私が初めて門を叩いた道場。今はもうない。