器用と不器用

武道において、時々、一度技を見てすぐに真似をできる人がいる。それは技を見る目であり、身体を操作する能力であろう。言い換えれば、武道において重要な「盗む力」とも言える。どちらかと言えば器用な人と言えるかもしれない。

一方で、技を見てもすぐに真似ができず、中々技が覚えられない人がいる。そういう人は自分の中にもどかしさや悔しさを抱えていることが多い。どちらかと言えば不器用な人と言えるかもしれない。

ただ、武道の修行という意味においてどちらがよいかといえば、それは難しい。

器用な人はすぐにできてしまうのでそこで満足してしまうことがある。本当に技が身につく前に忘れてしまい、深遠な道に足を踏み入れる前に止まってしまう。器用貧乏と言われる所以である。

不器用な人はゆっくり何度も何度も繰り返さなければ技を覚えられない。ただ、そうして覚えた技は結果として自分の身につき、次の階梯に進むための土台になっていく。自分の中にあるもどかしさや悔しさが修行の原動力になる。武道に限らず、不器用な方が結局は大成すると言われる所以である。

しかし、人間はそう単純ではなく、器用、不器用と簡単に分類できるものでもない。「盗む力」があった方がよいに決まっているし、不器用な人が誰でも努力家とは限らない。何より人間は変わる、成長する。

要は探究心と反復である。探究心の源となるのは、「興味」「目的」あるいは「感動」であったりするだろう。反復の源になるのは、「決して現状に満足しない心」であろう。人に応じてそれを上手く導いていくのが指導者の役割であり、責任である。

大東流合気柔術副本部長・世田谷支部長
教授代理 臼山秀遠

稽古を積み重ねて精妙な技を探求していく