見牛

『十牛図』は、禅の修行において悟りに至る過程を、牛を追う童に見立てて十の階梯に示したものである。尋牛、見跡、見牛、得牛、牧牛、騎牛帰家、忘牛存人、人牛倶忘、返本還源、入鄽垂手の十図から成る。解釈には幅があるが、概ね、人間の内にある仏性(真の自己)を牛にたとえ、それを探そうと発心し、その在り処を経や教えに求め、それを見つけ、捉まえ、飼いならし、一体となり、忘れ、無となり、ありのままの世界を見、世俗に入り人々を導く、という意味になろうか。

武道修行に通じるものがある。同じと言ってもよい。

この春で武道に足を踏み入れて40年となる。自分が十牛図の中のどの階梯にいるだろうかと考えを巡らせてみたが、どう考えても、いかに高く見積もっても『見牛』のあたりか。おぼろげながら自分の中にある仏性の尻尾を見つけ、今何とかそれを掴もうともがいている。

十の階梯のうち、三つ目である。40年かかってまだここか。

否。だから武道は奥深い。だからこそ人生は面白い。

自分の一生をかけてどこまで行けるであろうか。武道五十年を迎えたときに、せめて『牧牛』を感じていたい。気が遠くなるが、楽しみでもある。道を楽しむ。即ち道楽なり。

大東流合気柔術副本部長・世田谷支部長
教授代理 臼山秀遠

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近藤勝之 大東流合気柔術総務長から頂戴した 山岡鐵舟居士『十牛図』より『見牛之図』